ベトナム調査報告(工事中


1991年から95年にかけて行われた、われわれのベトナム調査のなかで、遺跡の踏査はベトナム全域にわたるものであった。踏査した地域は大きき分けて、ベトナム北部(クァンニン省、北部デルタ地域からハティン省まで)、中部(ビンディン省からドンナイ省)、そしてホーチミン市を中心とする南部諸省であった。この間踏査した遺跡はその性格によって大きく4つに分けることができる。すなわち、1)窯址、2)港市遺跡、3)墓地遺跡、4)都城址・集落址である。

  この調査の目的はベトナム陶磁の編年的位置づけと流通ネットワークの広がりを明らかにすることであった。この問題を解決するためには、まずベトナム全土に分布する各窯址や陶磁器を出土する遺跡群を踏査し、出土する遺物を実見して、製品の特徴を明らかにする必要があった。そのためハノイ考古学院をはじめベトナム各省の博物館等を訪れ、まず発掘担当者に遺跡と出土遺物の説明を受けた後、遺跡を踏査し、採集遺物の検討を日本・ベトナムの研究者が共同で行った。未だその性格が不明な、ベトナム中部ビンディン省クイニョン近郊のゴサイン窯については、発掘調査を実施して、窯の構造と製品の技術的特徴についての調査・研究を行う機会を得ることができた。

 次に、ベトナム各地でさまざまな時期に生産された陶磁器や陶器が、かつて存在したであろう流通のネットワークに乗って、どの場所で使用され、どのように廃棄あるいは埋納されているのかという消費の実態を明らかにする必要がある。港市・墓地・都城・集落など、性格の異なる遺跡から出土する遺物は、かつて存在した流通ネットワークの途上、あるいは最終消費地に位置づけることができる。そしてこれらベトナム陶磁が出土する遺跡の分布・性格・使用期間・共伴遺物から、最終的に流通ネットワークの時代的変化をあとづけることが可能となる。

 またベトナム陶磁に編年的枠組みを与えるためには、ベトナム陶磁に共伴して出土する中国陶磁や肥前陶磁の編年的研究の成果を援用する必要がある。すでに日本や中国などで、産地と年代が同定された資料が、どのようなコンテクストでベトナム陶磁共伴関係にあるかが、編年的研究の決め手となる。発掘作業を伴わない踏査によって、短期間のうちに、中国・日本の陶磁器との共伴関係が明確なベトナム陶磁の資料を得るには多くの困難が伴う。この制約の中でもっとも効果的に目的を果たせるのは、墓地遺跡で共伴資料を見つけることであった。   

 以上のような目的をもってわれわれはベトナムでの調査を開始した。以下は、われわれの5年間に及ぶベトナム陶磁調査の記録である。この5年間にわれわれが調査した遺跡や研究期間を,所在地,調査年,遺跡の性格,形成時期について表にまとめてみた(表1)。この表をまとめ終わってはじめて、ベトナムの22省・市を訪ね歩いたことに思い至った。それら調査地には5年間に何度も訪れた場所もあれば、一度限りの遺跡もある。われわれ調査者はどの遺跡も今度限りという想いで、目を皿にして地表面の遺物を探し、博物館のショーケースの中を食い入るように目をこらした。良い情報を得たと意気揚々訪れた遺跡でなんの成果もなく引き揚げてきたことも一度ではない。しかしこのような遺跡は表に含まれていない。以下の報告はこのような期待と昂揚、そしてある時には落胆が入り交じった調査日誌を綴った野帳から抜き出したものである。

 この間、ハノイ考古学院をはじめとして、ベトナム北部・中部・南部各省の博物館・人民委員会等に属する人々、そしてわれわれが訪れた場所で暮らす多くの人々に大変なお世話をいただいた。まずはじめにこれらの人々へ感謝の意を表して、この報告を始めることにしたい。



91-95年調査記録